観劇記録であるとか

タイトルの通り。

『導かれるように間違う』

会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
作:松井周 演出:近藤良平
上演時間75分、休憩なし


医者から突然退院を告げられた男は病院の出口を目指す。その道中。
物語の後半で、病院の実態は強制収容所に近く、「先導者」の意志に逆らわない人間へと"治す"ための施設であることが分かってくる。
導かれるように間違っているのは誰か。

全体として、不条理というよりディストピア。「ダンスと演劇を融合」というよりは身体表現の多い演劇。みたいな印象をうけた。

医者の造形が面白かった。実は作中で最も"病んで"いるのは彼である。服薬と自傷行為を繰り返しながら何とか「先導者」の作り上げる世界に自分の理念を重ねて生きようとしている。
顔の見えない「先導者」の後ろ姿がおそらく近藤良平のものだというのも面白かった。芸術監督として「先導者」的にはならないぞという立場の表明。

本編および他人の感想を読んで印象的だったのはマイノリティの模倣に関して。
主人公の男は他人の真似をせずにはいられない。しかし、障害の特性を真似するのは相手を不快にさせかねない。し、作中で主人公がそのことについて謝るシーンがある。
また、車イスに乗る女性は、身体機能のため歩けないのではなく、足が歩くためにあるように思えないから歩けないのだと言う。これは"本当に"歩けない人もいるのだから失礼だと言われた、みたいなことを作中で本人が言う。
他にも色々危ういなーというシーンはあるのだが、ハンドルズ(障害者ダンスチーム)の活動もやっている近藤が、まったく無自覚にこれらのシーンを作り上げているとは思えない。リズムがあれば動きがそろう、というのもその活動を通しての実感だろう。
バリバラ「ココがズレてる健常者」(2017年放送)において、障害者のモノマネについて触れる時間があった。バリバラもまぁある種片寄った番組と出演者なので一概には言えないが、真似られることに不快感を覚えない人もいた。
マイノリティの模倣の是非については、つまるところ悪意があるかどうか、意識的かどうか、なんじゃないか。でもただ意識があるからといって免罪符にはならないぞ、とか結局人それぞれだよ受け止めは、みたいなかんじでまとまらない。が考え続けたい。