観劇記録であるとか

タイトルの通り。

『建築家とアッシリア皇帝』

会場:シアタートラム
作:フェルナンド・アラバール 演出:生田みゆき
出演:岡本健一、成河
上演時間:2時間50分(休憩1回、ただし舞台上パフォーマンスあり)


※ネタバレと解釈が入ります。観に行く予定のある方は読まないで下さい。


孤島に現れた男(アッシリア皇帝と名乗る)と先住する男(建築家と名付けられる)とのやりとり。
一幕では二人のやりとりの中から「建築家」が何者であるかが示唆される。二幕は「皇帝」の過去の罪を探る裁判ごっこの様子がメインだ。

全体に、演劇であることが強く意識される。
特に成河演じる建築家は、演劇の子のようである。ないものを出現させ、舞台装置を動かし、照明もあやつる。あげくのはてに照明作業用のゴンドラに乗って出てくる(めちゃくちゃ面白かった)。
対する皇帝は役者、あるいは役割を演じる市井の人のようだ。
この二人のエチュードのようなものが第一幕では何度も繰り返される。第二幕は裁判所のシチュエーションがメインになるが、裁判の演劇的要素を意識するような台詞があり、やはりエチュード的である。ラストは役者が入れ替わり、冒頭のシーンが繰り返されて終わる。演劇は一度上演を終えても繰り返しまた初めから上演されるのだ。かといって過去に戻るわけではない。

次に意識されるのが、母親そして性欲だ。
第一幕のエチュードには性欲に関係する言葉や行為が何度も出現する。テーマとして深掘りされるのは第一幕ラストから第二幕中盤にかけてだ。皇帝は母親に対して強い愛憎の念を抱いている。そして母殺しの罪を負っている。第一幕後半の皇帝の一人芝居や第二幕の裁判およびその後の語りでそれが示される。
母からの愛、性愛とは無縁のようにみえる愛情を受けて育った。しかし母親もまた性愛を抱く存在で、しかも自分自身がその結果今ここに存在しているのだ、という気持ち悪さ。母親という存在はまるで、見えないところにガーターベルトを身に付けた修道女のよう。

最後に、戦争の存在がある。
多数のごっこ遊び、例えば「皇帝」が皇帝らしく振る舞うことは、人間は皆同じ人間であり役割に応じて自分の行動を決めているにすぎないことを見せる。戦争は、もし役割が変われば味方同士だったかもしれない人間を殺すことなのだ。


と、ごちゃごちゃ書いたが、二人のやりとりや舞台の仕掛けが単純に面白い。何ですかその動き、とか、あっそこから出てこれるの!とか。
成河はものすごく楽しそうに生き生きと舞台を動き回る。岡本健一は表情が良い。様々なごっこ遊びをしても、尊大で臆病でひねくれて他者からの愛を求める人物が常にいる。
美術も好みだった。薄い幕の金糸、かわいい。ふにゃふにゃの壁とそこにグラフィティがあるのも良い。

強いて言うなら、一人芝居部分が二人芝居部分と比べどうしても見劣りしてしまう、のに長尺なのが気になった。がその間ぐるぐる上記のようなことを考えられたのでいいのか。

演劇面白い!となる作品でした。見れてよかった。