観劇記録であるとか

タイトルの通り。

『ツダマンの世界』

会場:ロームシアター京都 メインホール
作・演出:松尾スズキ
上演時間:3時間30分(途中20分の休憩あり)


滋賀・京都観劇旅行第三弾。
東京公演は激務その他につき都合がつかず、唯一確実に行けそうな日が初日で当然にチケットがとれない。京都も久々行きたいし…ということで。


津田万治という小説家の半生。物語は津田家の女中の案内で進む。昭和初期から戦後。女に振り回され、また振り回しつつ、文学…というより文化的な栄誉に執着する男の話だ。

非常にテンポが良い。役者の力量もあるし、一シーンが短く、またシーンが変わる際に美術も大きく変わるので、飽きがない。場転もブレヒト幕を多用したり結構な大きさのセットが滑らかに移動したりしていて、見ていて楽しい。
そうして笑ってテンポ良く進んで終わる。戦中戦後の文豪の話だ……、と重ために挑むと肩透かしを食らう。基本的には人間の愚かな、けれどたくましい様を見て笑って楽しむ芝居だ。

そんな中でも印象に残ったのは、芯があるか、という件だ。ツダマンは戦中、中国大陸において戦意喪失のためのビラの文章を書くよう指示される。そこで彼はこう記す。「お前たちが反撃しても日本は必ず勝つ。なぜなら日本には天皇という芯がある。お前たちにはそれがない。だから負ける。」(大意。文章まで覚えてない)
しかし、ツダマンはノンポリで、作中でも自らノンポリであると度々言っている。ついでにツダマンの周囲には女が何人かいるがその誰のことも好きなわけではない。強いていうなら死んだ継母の面影を追っている。
そんなツダマンから、だからこそなのか、上記の文句が出てくるのが面白い。芯のない者でも何かを信じているかのような文章を書ける。お前の信じてるそれは本当にお前にとっての芯なのか? そう自らに言い聞かせてるだけじゃないか?


というわけで概ね楽しんだ。
最後急にツダマンという男の話から女の話になるのは、ちょっと取って付けたようで違和感があった。女中の告白は面白いしツダマンの妻の思いが最後爆発するのも、そしてそれらを無視して踊るツダマンという画もいいのだが、であれば劇中もう少し妻の存在(ツダマンの幻想としての女性でなく)を大きく出した方が良いのかもしれない。

冒頭、三人の幽霊のシーンがとても美しく、これからの期待がグッと高まった。客席を使った映像効果も楽しく良かった。
あと自分は江口のりこ好きなので、煎餅で人の頭をジャンプして叩くとことか葉蔵の世話係の上に乗っかってぐりぐりするとことかすんごい可愛かったね、というのを書き留めておく。


最後に、東京公演におけるチケットの取れなさについて……。いや、私が取れなかったのは初日一択だったからでこれは別に仕方がない。ただ様子をみるに、人気俳優のファンに向けたチケットの割合が多すぎる。せめて枚数制限つけてくれ。通いを増やすより実質の観劇者数増やしてください。人気俳優の出演は観客の裾野広げられるチャンスなので、ファンの集いになっちゃいかんだろう。