観劇記録であるとか

タイトルの通り。

『ハリー・ポッターと呪いの子』

会場:TBS赤坂ACTシアター
上演時間:3時間40分(途中休憩20分)


ハリー・ポッターは原作本を謎のプリンスまで読んだ気がする、映画を不死鳥の騎士団まで観た気がする、というレベル。演出効果が良いと聞いたので観に行くことにした。一応話にはついていけた。


ざっくりと、タイムトラベルもの、そして例によって過去の改変による悪影響が起こるため、元に戻すまでの冒険譚である。
人間ドラマとしては、親と子の関係、友達の大切さ、自らの周辺に起こる理不尽な死への向き合いについて語られる。

ハリー・ポッターに息子、アルバス・セブルス・ポッターがおり、彼がホグワーツへ入学するところから話は始まる。ハリーは父親としての振る舞いが分からず、アルバスに対して愛情を上手く示せないでいる。対してアルバスは父親が有名人であることから日頃からいらぬ注目を浴びていて、父親のことを少し疎ましく思っている。
アルバスはホグワーツ特急の中で一人ぼっちでいる同級生と出会う。彼はスコーピウス・マルフォイといって、ドラコ・マルフォイの息子である。アルバスと同様に有名人の父を持つ苦悩を持っており、またドラコがヴォルデモート卿の配下にあったこともあって、出生に関してひどい噂を立てられ孤立している。
アルバスはスリザリンに組分けられ、あまり魔術の才もなかったことから、ホグワーツで孤立していく。そんな中で、同じような境遇にあるスコーピウス(彼もスリザリンである)がアルバスの良き友人となる。
ある日、アルバスは父に連れられてディゴリー家を訪れる。ディゴリー家は三大魔法学校対抗試合の最中、ハリー・ポッターとヴォルデモートの戦いに巻き込まれて亡くなった、セドリック・ディゴリー出生の家である。セドリックの父、エイモスは全て破壊されたはずのタイムターナー(過去に戻ることが出来る)の一つが発見されたことを聞きつけ、ハリーに過去に戻ってセドリックを助けるよう懇願する。しかし、ハリーはタイムターナーの噂を否定し、その願いを断る。
それを聞いていたアルバスは、セドリックを救おうと計画する。父のせいで理不尽な出来事に巻き込まれ、犠牲になった者に共感するところがあり、また同時に罪を負った父を救いたいとも考えたからだ。アルバスはスコーピウス、そしてエイモスの介護をするデルフィーと共に、冒険へと踏み出す……。


ハリー・ポッターファンに向けた作品、かつダイジェスト版というかんじ。

全7巻にて語られる壮大なスケールの物語のイメージで臨むと、どうにも小さい印象。ハラハラドキドキ、みたいなのはあまりなかった。
メタな理由としては、ヴォルデモートとの大きな戦いも終わっているし、上演時間も長いけどゆうてこの時間内に解決するんだ、と思ってしまったこと。
物語としては、ハリー・ポッターは子供たちが主役だったのに対して、呪いの子は親子が主役である、というのがある。ハリー・ポッターでも大人が手を貸すことはままあったが、呪いの子はアルバス・スコーピウスに何かあってもまぁハリーたちが助けてくれるんだろうな、みたいな気の抜け方があった。

ダイジェスト、というのはこの作品の上演のされ方にある。ロンドン他ではこの作品は2部作として上演されている。第1部は2時間40分(内休憩20分)、第2部は2時間35分(内休憩20分)。しかし、東京での上演は2021年に出来た短縮ver.で、上演時間でいえは4時間35分の作品を、3時間20分で上演している。1時間15分の短縮だ。そしてそれをシーンのカットでなく、セリフを高速で言うことで解決しているシーンが多々見受けられる。正直言ってかなり無理があった。

こうしたところからストーリーやドラマ部分が薄くなり、ハリー・ポッターキャラが現れるのと魔法の演出を楽しむ作品に終わってしまった。アトラクションとかショーに近い。


シリーズ完結後の作品と言うことで、主役でない者たちへのまなざしを意識したのは良かった。そんな物語で、途中スコーピウスがほとんど主役のようになるのは面白かった。
役者は嘆きのマートルを演じた美山加恋が良かった。スコーピウスを演じた門田宗大も良い。アルバスはラストシーン、夢を冗談めいて語るところが良かった。ただ全体には、怒ったような調子で大声で喋るばかりの役者が多いのが気になった。これは役者にも原因はあるが、脚本と時間の制約のせいもあるだろう。
魔法の演出は概ね楽しく観れた。特に電話ボックスが好みだった。ダンブルドア肖像画のシーンは、いかにも踏み台なのでスロープにしてあげて欲しい。

客席は演劇を見慣れていない人が多く、観劇マナーはあまり良くはなかったが、集中して観る作品でもないので別に怒ることじゃないと思う。着信音については、改修期間もあったわけだし、携帯電話抑止装置つけりゃ良かったのに、と。
あとどうしても、J・K・ローリングがトランス差別をしたのが頭にちらついてしまい楽しみきれなかったのは残念だった。