観劇記録であるとか

タイトルの通り。

『XXLレオタードとアナスイの手鏡』

会場:静岡芸術劇場
製作:シアター・カンパニー・ドルパ
上演時間:1時間30分、休憩なし


ふじのくに⇄せかい演劇祭の演目で、韓国のカンパニーによる公演。
登場人物は、受験を控える高校2年生の5人とその教師。ある日、若い男性と思われる人物が、レオタードを着用し鏡の前でポーズを取っている写真が流出する。写りこむ部屋の構造からして、同じ学区の高級マンションに住む人物だ。この写真に関わる騒動から、経済格差、(時にキリスト教に基づく)性的少数者への差別、苛烈な受験戦争、親から子への期待ないし束縛といった問題が語られる。

よく出来た作品だった。教育番組ぽいというか、中高生向けの観賞会とかで使われそうなそれだな、という印象を受けた。台詞は日常会話で親しみやすく、テーマも身近だ。一方で、出ハケ口がなく役者が常に舞台上にいて様子を見ていたりするのは演劇的である。善人/悪人だけの人がおらず、またドラマとしてあっさりとしているため感情移入させるような作劇でないのも、めでたしめでたしハッピーエンドみたいな終わりでないのも、差別を扱う作品の手つきとして好ましかった。
ただ、2015年初演ということで少し戯曲として古い気はした。レオタードを着ている青年がゲイと決めつけられ、ホモという言葉まで飛び出すのは、現在高級マンションに住む層がおおっぴらに行うことではないように思えた。偏見は残っていて陰口は叩かれそうだけれども。いやでも高校生は結構残酷なので大人の陰口を聞いて平気でやってしまうのかもしれない。

本作の何より素晴らしいのは、視覚あるいは聴覚障害のある人も共に観ることの出来る作品に、常に、なっていることだ。
上演開始前の挨拶の後、役者とその演じる役の紹介が行われる。役者は自らその役の見た目や特徴を解説するため、声でキャラクターを識別できるようになる。その後、ヒジュ(主人公の一人、体育科を目指す)の走る音、劇中で使われるダンス音楽の紹介がなされてから本編に入る。そして常に字幕が舞台のセンター上部に表示されている。これは日本での韓国語上演だからではなく、韓国での上演では韓国語字幕が表示されるそうだ。
こうした上演の仕方が演出効果を弱めてしまう作品もあるだろうが、公共劇場でしばしば行われる広い層に向けた作品とか、没入させない作りの作品とかでは、どんどん取り入れるべきだと思う。劇場をひらかれた場所に、と言うならば当然に。