観劇記録であるとか

タイトルの通り。

音楽劇『ある馬の物語』

会場:世田谷パブリックシアター
原作:レフ・トルストイ
演出:白井晃
上演時間:2時間25分(第一幕75分、休憩20分、第二幕50分)


トルストイの小説『ホルストメール』を音楽劇としたもの。
観ていて楽しかったが、テーマや演出意図が散漫してしまった印象をうけた。

美術は工事現場さながらだ。劇は、ヘルメットをつけた作業員たちが仕事を始める様子から始まる。ある1人の男(演:成河)が足場の一番上へと登るが、彼はそこから落下してしまう。そして巧みに男はまだら馬へと変わり、舞台は19世紀ロシアの、馬と人間たちの物語へと移行する。
このシーンは原作になく、演出によるものだ。使役され捨てられる馬たちと労働者を重ね、現代へとつなげる場面として作られている。しかし、あまり効果がない。
というのも、この後馬を模した身体表現であるとか、視覚的に魅せる踊りや演出が続くので、馬たちがすなわち労働者、市井の人であることを忘れてしまう。
これに加え、ラストシーンだ。
ラスト、ホルストメールを演じた成河はまだらを示すメイクを取って、公爵を演じた別所哲也はつけ髭を外して、それぞれの役のその後、そして死について語る。このシーンは本上演にあたり付け加えたものではない。ここで、成河はホルストメールを演じた役者として語る。冒頭の作業員を演じた役者ではない。またこのシーンにより、この物語がホルストメール(馬)と公爵(人間)の物語であることが強調され、いよいよ冒頭の作業員の印象が薄くなる。
もちろん、落下のシーンがワイヤーを使った印象的な絵なのもあって、後から客はあれ何だったんだろうと思い返すし、そこで現実と接続されるのたが、1つの作品としてはいささか浮いていると思った。

このラストシーンの台詞。公爵は棺に入り埋められたが人々から忘れ去られ、ホルストメールは打ち捨てられたが、肉は食べられ骨は道具として用いられ最後まで"役に立った" と語られる。
全体の雰囲気として、馬の方が優れていると言いたげなのだが、ホルストメールは使役動物として死後に至るまで使われ役立てられたという話で残酷だし、棺に入れられ静かに眠った公爵は、人生の最後に名声などといったものから離れ、世の中にある種使われた人生からやっと抜け出せて良かったじゃないかくらいに思った。自然に還れない、次に繋げない哀しみはあれど。

そもそも、ホルストメールはそんなに善人(馬)ではない。彼自身、女を自分のものにしようと/所有しようとして、雌馬をレイプしている。また公爵に所有される喜びを語っている。彼もまた、誉められるだけでない、悪いところも愚かなところも持ち合わせた生き物なのだ。
しかしここは宣伝が良くなかった。「愚かな人間と聡明な馬とを対比させ~」(世田パブHPより)と、人間対馬の構図が強調されてしまった。これを前提に劇に臨むと、馬に人間(労働者)を重ねる演出意図とは食い違ってしまう。

というかんじで、馬を馬として見せたいのか、馬を人間と重ね合わせて見せたいのか、どっちつかずのまま提示された印象を受けた。答えを明確にすることが常に良いこととは限らないが、どう見せたいかについては少し整えてもいいんじゃないか。その上で客はそれぞれの立場で受け止めをするから。


音楽は非常に好きだった。
色々書いたが、ワイヤー等を用いた大きな動きも馬の表現もかなり楽しんだ。馬の表現は、成河がやはり素晴らしかった。蝶を追っかけるとことか可愛いですね(ファンの感想)。音月桂も優雅なそれが上手い。
別所哲也演じる公爵のことも結構好きだった。観客席を割に使う演出なのだが、劇中明確に観客へ視線を向けるのは公爵くらいだ。それが相手から一目置かれることを望んだ公爵らしく、愛らしかった。